こんにちは、ShimaSuki編集部です。
「この場所に行くと運気が上がる」
「写真を撮るとご利益がある」
——そうした言葉に、少し距離を感じる人も増えてきました。
ShimaSukiが伝えたい“スピリチュアルな離島旅”は、
即効性のあるご利益ではなく、
ゆっくりと効いてくる“感覚の変化”を大切にしています。
なぜ離島なのか。
なぜ人は島で泣いたり、黙ったり、深呼吸したりするのか。
その答えは、
日本の離島に今も残る信仰のかたちにあります。
日本の離島に残る「自然信仰」という思想
日本の古い信仰の多くは、
神社よりも前に自然そのものを拝んでいました。
- 山は「神が降りる場所」
- 海は「生と死の境界」
- 森は「人が入ってはいけない領域」
離島は、地理的に閉じているからこそ、
こうした価値観が生活の中にそのまま残りやすかったのです。
【深掘り①】奄美大島|森を“支配しなかった”島



奄美大島を語るとき、
必ず触れなければならないのが自然との距離感です。
■ 奄美の人は「自然を管理しない」
奄美では、
「森を切り開く」「神を建物に閉じ込める」
という発想があまりありませんでした。
代わりにあるのは、
“近づきすぎない”という敬意。
金作原原生林(キンサクバルゲンセイリン)に入ると、
音が吸い込まれるような感覚に包まれます。
それは「癒し」というより、
人間が主役ではない世界に入った感覚に近い。
■ スピリチュアル的に何が起きているのか
科学的に言えば、
- 湿度
- 森林の揮発成分
- 視界の遮断
- 音の反響の変化
これらが自律神経を強制的に緩める。
奄美の“力”は、
信仰と環境が一致した結果とも言えます。
【深掘り②】久高島|「触れてはいけない」ことを教える島



久高島は、
日本でも珍しいほど制限の多い島です。
■ なぜ久高島は“厳しい”のか
それは、
この島が「見せるための聖地」ではなく、
祈りを守るための島だから。
久高島の信仰は、
外部の人間に開かれることを前提としていません。
だからこそ、
- 立入禁止が多い
- 説明看板が少ない
- 派手な演出がない
■ 旅人が得られるもの
何も「わからない」まま帰る人もいます。
でも、
「わからなかった」という体験こそが、
久高島最大のスピリチュアル性。
理解しようとしない。
奪おうとしない。
ただそこにいる。
——これは、現代人が最も苦手な行為かもしれません。
【深掘り③】小豆島|祈りが“暮らしの一部”になった島

小豆島の特異性は、
信仰が観光でも宗教行事でもなく、日常であること。
■ 巡礼=修行ではない
小豆島八十八ヶ所霊場は、
「全部回らなくていい」
「途中まででもいい」
それは、
人生も同じという考え方が根底にあるから。
■ 重岩が象徴するもの
山の上に重なる巨岩は、
合理的に考えれば不安定。
それでも何百年もそこに在り続けている。
小豆島のスピリチュアル性は、
「整っていなくても、成り立つ」という
許しの感覚にあります。
スピリチュアル離島旅で「何も起きなくていい」理由
この旅で、
- 涙が出なくてもいい
- 啓示がなくてもいい
- 変化を感じなくてもいい
大切なのは、
“感じようとしなかった時間”があること。
離島の力は、
あとから日常に戻ったとき、
ふとした瞬間に効いてきます。
こんな人にこそ、離島のスピリチュアル旅を
- 疲れている理由がわからない人
- 頑張り続けることに疑問を感じた人
- 何かを決める前に、立ち止まりたい人
離島は、答えをくれません。
でも、余白をくれます。
おわりに|島は、何も語らない。でも、確かに残る
スピリチュアルとは、
目に見えない力ではなく、
目に見えないものを大切にする姿勢なのかもしれません。
日本の離島には、
その姿勢が、今も静かに残っています。
次に島を訪れるときは、
「何かを得る旅」ではなく、
「何も足さない旅」を選んでみてください。
ShimaSukiは、
そんな旅の入り口を、これからも届けていきます。


